「痛みがわかる だからたたかう」

私、白石たみおの原点は、21歳のときに入学した大崎高校定時制での4年間です。七十代の同級生、いじめで苦しんだ仲間、経済的理由で全日制に通えなかった仲間。みんなで机を並べて学ぶなかで「誰でも幸せになる権利がある」ことをつかみました。

みなさんのお力添えで、都議会に押し上げていただき、議員として働いたこの4年間も、その原点を大切にしてきました。石原都知事以来の「闇」…利権政治と対決し、大型開発偏重のゆがみをただし、福祉・くらし第一の都政へ、その財源を生み出すためにたたかってきました。

くらし・福祉最優先の都政への改革をすすめるために、ひきつづき都政の場で働かせてください

白石たみおについて

プロフィール

1982年 大田区に生まれる
2003年 都立大崎高校定時制入学
2004年 民青同盟品川地区委員長
青年の就職難の解決や家賃補助制度実現の運動などに取り組む。
2007年 都立大崎高校定時制卒業
2012年 日本共産党品川地区委員会雇用と就活相談室長
2013年6月23日 東京都議会議員品川選挙区で15,338票を獲得し当選。
2017年6月現在 東京都議会議員 都市整備委員会 所属

白石たみお物語

  • 1)

    白石たみおは、1982年1月、父武実さん、母芳枝さんの長男として板橋の小豆沢病院で誕生。2600グラムでした。母芳枝さんの育児記録によれば、生まれる前に芳枝さんが体調を崩し一ヶ月間入院。その後、予定日より16日も早く生まれたそうです。

    名前の「民男」の民は、民主主義、民商、民医連からとったそうです。

    小学校は、大森第五小学校へ。一年生の時は、忘れ物名人で母親を悩ませました。勉強よりも体を動かすことが大好きで学校から帰るとランドセルを放り投げ、暗くなるまで遊ぶ子でした。

    小三から中一までは、野球に熱中。地域の少年野球チーム「美原アテネス」に入り、火~金まで続くつらい朝練にも頑張っていきました。6年生の時には、背番号8、センターでレギュラーとなり地域の大会で3回優勝するほど強豪でした。

    そんな白石たみおも、小学校の卒業式には「将来すし屋になって、高級なすしを安い値段で誰もが気楽に入れるすし屋になりたい。そしてお金をためて船を買いたいです。」と決意をのべました。白石たみおの「すし屋になりたい」という思いの背景には、釣り好きの祖父が、自宅で魚をさばき調理する姿に「かっこいい」と感じていたことがありました。

  • 2)

    中学校は、大森第二中学校へ。卓球部にも所属していました。勉強は不得意で、遅刻も多く、成績も上がらず両親を悩ませました。その頃、少年が寿司職人をめざし、全国各地の達人とたたかいながら一人前の職人になるまでを描いた「将太の寿司」(寺沢大介・講談社)に夢中になっていました。

    中三の時の担任は、とても厳しい数学の先生でした。寿司職人か高校かに悩んだ時、とても親身になって高校進学をすすめてくれた先生でした。数年前に「映画 蟹工船」の上映会が行われた時、あいさつする機会があり、先生も来てくれて十数年ぶりに再会。「立派になった」と褒めてもらった時、涙があふれました。

    担任の先生の薦めもあり、何とか私立高校に入学しました。同時に、父の知り合いの南大井にあった回転寿司屋でもアルバイトを始めました。毎日職人さんを見ている中で寿司職人への夢が再び大きくなり「この世界、学歴は関係ない。実力があれば自分の店ももてる」の言葉にも促され、いつしか高校へいくことの意味を感じなくなり、学校を休む日も多くなりました。

    1年の終わりころから高校を中退する決意を固め、そのことを両親に相談。両親は「高校を出てからでも遅くない」と大反対しましたが、最後は、白石たみおの熱意に押され承諾しました。自ら退学届をだし、バイト先のあっせんで大井町にある寿司屋へ就職することができました。そこから、本格的な寿司職人をめざす修業が始まりました。白石たみおが17歳になるころでした。

  • 3)

    大井町の寿司屋(現在はない)で修業を始めた白石たみおは、午後4時に出勤し、いかのわたとりや皮むき、あじの三枚おろしなどネタの下ごしらえから、接客、出前、皿洗いをこなし、午前3時に店の仕事をおえ、その足で先輩職人と一緒に築地市場で仕入れをして一日が終わりました。給与は、手取りで15万円でしたが、夢だった魚を調理できる喜びや、自分の作った出し巻き卵が、お客さんに出されるなど、徐々にやりがいを感じていました。

    2年ほど働いた時、港区にあるある高級寿司店から声がかかり「いろんなところで修行するのも大事」と親方も薦めてくれました。悩みましたが、店を変わる決意をしました。白石たみおは、一流の職人になるべく希望をもって新しい修業先に行きました。

    しかし、そこは、大井町の店とはまったく違う現実が待っていました。仕事の内容は変わりありませんでしたが、理不尽な先輩たちの新人いじめやいやがらせの日々が続きました。

    手際が悪いと「包丁で手をたたかれたり」「冷蔵庫の扉に挟まれる」出前では「地図なしで行かされ2時間もかかり、帰って怒鳴られた」こともありました。先輩たちに逆らえる雰囲気はまったくありませんでした。一日12時間以上の労働で休憩も15分、安らげるのは、唯一トイレの中だけという状態でした。白石たみおの後に入ってきた新人たちもすぐに辞めていく、そんなお店でした。

  • 4)

    それでも修行と思い、我慢してきましたが、半年も過ぎたころ「つらい」「苦しい」「先輩に会いたくない」「職場に行きたくない」そんな気持ちが湧きあがり、ついに職場に行けなくなりました。

    「職場にいけない」「修行から逃げた」ダメな自分に落ち込み悩みました。親にもいえず、相談できる友達もいませんでした。そんな時、民青同盟の仲間が何度も訪ねてきました。一緒に大井町のファミレスにいき白石たみおは、今の状況と悩みを打ち明けました。すると「悪いのは民男じゃない」「一人で悩まないで、一緒に学びながら解決していこう」と励ましてくれ、民青同盟の活動に誘ってくれました。

    なんとなく気持ちが軽くなった白石たみおは、それから民青同盟に参加するようになりました。

    民青同盟の仲間は白石たみおをあたたかく迎えてくれ、地域の班に入りました。民青新聞を読んで学習したり、自分のことや身近なことを話す三分間スピーチは特に楽しみでした。

  • 5)

    寿司屋を志し半ばで辞めた白石たみおでしたが、学習すると仕事で挫折したことも、日本社会のしくみや労働条件の貧困からきていることがわかり始めました。民青同盟は、自分の気持ちが素直にだせる居心地のいい場所となりました。

    そんな時、イラク戦争がおこりました。

    自分は戦争を知らない世代で、見たことも、想像もしなかった戦争が、実際に起こった時「自分も巻き込まれるかもしれない」驚きと恐怖を感じました。

    班でも学習すると、アメリカの無法により、罪もないイラクの子どもたちが危険にさらされていることを知り、この戦争を「絶対にやめさたい、やめさせなければ」と強く思うようになりました。

    班では、147人分のイラク戦争に反対する人の名前をのせたチラシをつくり、そのチラシを地域に1万枚配布しました。

    連絡先が白石たみおの携帯だったこともあり様々な反応があり、連日、携帯電話が鳴りました。この行動は、当時のしんぶん赤旗にも掲載され話題になりました。

  • 6)

    白石たみおは、民青同盟の青年の要求実現活動や仲間と学習することにおもしろさや生きがいを感じるようになり、もっと仲間を増やしたいと思うようになりました。

    悩んでいる青年がいると親身に話を聞き「民青同盟で一緒に頑張ろう」と呼びかけ、仲間を増やしていきました。

    同時に自分も、もっと勉強して、広い視野をもち、仲間の悩みに応えたいと都立大崎高校定時制を受験。2003年4月、21歳の高校生が誕生しました。

    その後、「民青同盟の品川の責任者をやってみないか?」と声がかかりました。少し悩みましたが「自分のやりたいようにやってやろう」と決意し、04年から12年まで8年間、仲間とともに責任者として奮闘します。

    民青同盟の責任者の最初の仕事は、民青同盟品川地区委員会の再建でした。当時全国で再建の方針がだされ、品川地区は東京で最初に地区委員会を再建しました。

    昼間は、アルバイトとして大森中診療所でメッセンジャーの仕事、夜は高校、その後、民青同盟の事務所に行き、活動と三足のわらじで忙しい日々でしたが、とても充実していました。

  • 7)

    特に定時制高校の仲間との学校生活が息抜きや活力の源になりました。バトミントン部にも入りました。クラスの仲間も16歳から60歳まで、人間関係も多彩でいろんなことを学びました。

    パートや非常勤、派遣で働く人も多く、労働条件のことはよく話題になりました。そこで高校先生に相談しました。放課後、青年ユニオンの方を講師にむかえ、労働問題の連続学習講座を企画し、みんなで学びあいました。

    白石たみおの民青同盟時代の大きな取り組みに、青年ピースウォークがあります。イラク戦争への不安が高まった2003年12月、東京で初めて青年だけのデモ行進を企画しました。

    初めての経験だったので、デモ申請も地域の労働組合の先輩に聞き警察へ届けをだしました。何としても「成功へさせよう」と必死になってみんなに呼びかけ、70名が集結。二葉のタコ公園から青物横丁までパレードしました。

    このピースウォークは、連続三年続き、品川青年のイラク戦争ノーの声を代弁しました。

  • (8)

    白石たみおは、民青同盟の責任者として、毎年8月に開催される原水爆禁止世界大会にも取り組みました。自身も19歳の時に初めて参加。合計5回、広島、長崎を訪れ、原爆と戦争の恐ろしさを学んできました。

    広島平和資料館での人間の影が映りこんだ壁、被爆者の方の話に衝撃をうけました。特に被爆者というだけで世間から、いわれのない差別をうけた話は強い憤りを覚えました。「一発の原爆で人生が狂わされた。」という戦争への怒りと同時に、政治がいかに冷たいかを実感しました。

    こうした体験をみんなのものにしたいと思い、貸し切りバスをしたて、格安な宿を探し、青年の参加ツアーを計三回企画しました。

    参加した人は、行く前とは明らかに変化しているように感じました。原水禁大会で世界観が変わり、活動に一生懸命とりくむ仲間は、自身の生きがいにもなりました。

    今も福島では、原発事故によって多くの方が、避難生活で苦しんでいることを思う時、広島・長崎で被曝された方の話がいつも頭に浮かびます。被災された方々には、何も罪はありません。原発は、安全だと推進し、進めてきた東京電力と政府が責任をもって、住民のみなさんを故郷に帰れるよう支援すべきです。「原発はただちにゼロ」「核兵器廃絶」は、白石たみおのライフワークです。

これまでの議会活動

羽田増便新ルート計画
騒音、落下物、大気汚染、地元理解4つの大問題をただす

羽田空港の増便にともない、計画されている都心を低空飛行する「新ルート」問題。羽田空港はこれまでも増便が行われてきましたが、陸地をさけ、できるかぎり海上を飛ぶように配慮されてきました。「新ルート」はその歴史を破るもの。白石たみおは、住民の命と安全を守る立場から、問題点を東京都にただしました。

品川では地下鉄の車内並み

新着陸ルートは午後3時から7時の間、新宿、渋谷、港、目黒、品川の上空を降下します。その本数は1時間あたり44機。ラッシュ時の山手線よりも多い数です。品川での騒音は80デシベルと地下鉄の車内以上。夕方の団欒をおびやかします。 白石たみおは、世界保健機構の調査も紹介し、騒音が健康や子どもの発達にも影響することを指摘。小池知事に「影響についてどう考えるか」ただしました。

知事は、「都として、地域への騒音影響の軽減を引き続き国に求めてまいる」と答えました。

機体についた氷落下増加のおそれ

飛行機からの落下物で多いのは、機体に付着した氷が、着陸時に車輪を出すときの衝撃で落下するというもの。羽田では、これまで、海上で車輪を出すことで、被害を防止してきました。

白石たみおは、「新ルートでは市街地上空で車輪を出す。落下物が増加する危険をどう認識するのか」ときびしくただしました。都は、「国の職員自らチェックする取り組みを新たに実施する」と答えましたが、「教育と訓練を受けた整備士でもない国の職員がチェックできるはずもない」と航空関係者も批判しています。

飛行機の排ガスは世界的問題

航空機の排ガスによる健康被害は、世界的にも問題になっています。日本の環境省も、PM2.5やナノ粒子が航空機から排出されると報告しています。ナノ粒子は、より粒が小さく肺から血管などに入り込むため、健康被害が大きいと言われます。

白石たみおは「健康被害をどのように認識しているのか」と追及。都は「限定的」ながら影響があることを否定できませんでした。

国と自治体の協議会では合意なし

昨年7月の国と関係自治体との協議会で新ルートについて関係自治体が合意したかのような報道が流れました。品川区、目黒区、港区などの区長や担当者は、新ルートを了承していないと表明しています。国も、国会で否定しています。

白石たみおは都に「協議会は、新飛行経路の合意が得られていないことを認めるか」と都に迫りました。都は、「協議会は、新飛行経路の合意を行うばではない」と答え、合意が得られていないことを、国につづき認めました。

公約

夜間定時制高校の存続。給付制奨学金制度の充実

小山台高校など都立4校の夜間定時制高校の存続に全力をあげます。

都立高校生への都独自の給付制奨学金を拡充し、大学生向けに返済不要の奨学金を創設します。

私立高校の入学金と施設費の負担軽減、小中学校等の学校給食費の負担軽減、就学援助の拡充、35人学級の実現などのとりくみをすすめます。

羽田新ルートの撤回

都知事が決断すれば新ルート計画を撤回できます。

都知事に対して「区民の命を脅かす新ルートはきっぱりと反対を」と引き続き迫ってまいります。

築地の再整備で、食の安全・安心を守る

豊洲移転はきっぱりと中止し、築地再整備に実現に力を尽くします。

特定整備路線計画は撤回、住宅の耐震化こそ

特定整備路線は中止させ、耐震化助成の抜本的拡充を実現します。

認可保育園・特養ホーム・障がい者施設の増設

「林試の森」となりなどの国・都有地の活用をすすめ、認可保育園(9万人分)、特養ホーム(2万人分)、障がい者施設の増設をおこないます。

国保料の引き下げ、滞納者への過酷な差し押さえ中止、シルバーパスの負担軽減

国民健康保険料(税)を1人1万円、介護と後期高齢者医療の保険料をそれぞれ5,000円引き下げ、医療・介護の負担を軽減します。

法の趣旨に反する国保料(税)滞納者への最低生活費分の差し押さえを中止させます。

シルバーパスは、1,000円パスの対象をひろげ、対象外で所得の少ない人に3,000円のパスを発行します。

ブラック企業対策、住まいの保証対策を強めます

若者を使い捨てるブラック企業対策や、就職氷河期世代の就職支援を強化します。

若者・子育て世代の大きな負担となっている家賃への助成事業を創設や都営住宅を増設します。

応援の声

白石くんを応援します

応援の声 多賀 多賀哲弥 さん
元大崎高校定時制教諭

格差社会、競争社会を生み出す今の政治に、白石くんのようなノンエリートの議員が必要です。

定時制高校というのは、その時代、時代がつくり出した社会的弱者のための学校です。現在もいろいろな痛みを抱えた若者たちが集まってきます。

「何とかこの世の中で一矢を報いたい」「ちょっと何とかならないか」と思う彼らにとって、自分たちの仲間が議員であることは希望です。

彼らの代弁者として、「痛みがわかる だからたたかう」という信条でがんばる白石くんに必ず勝ってもらわなければいけません。

生きづらい世の中でがんばる若者たちに、勇気と希望を与える白石くんをふたたび都政へ送り出してほしい。心からお願いします。